伝通院施設
伝通院本堂
伝通院は開山以来四度に及ぶ火災に遭い、本堂などの建築物はもとより、仏像、寺宝、古文書など多くのものを失いながら、復興を重ねてきました。開山して約600年という浄土宗屈指の古刹でありながら、歴史的遺物を持ち得ませんでしたが、境内に残る数々の墓石や墓碑が歴史を物語っています。
於大の墓
徳川家康の生母於大の方のお墓になります。三河(愛知県)刈屋の城主・水野忠政の娘。天文10年(1541年)岡崎城主・松平広忠と結婚、翌年に家康を出産しました。
後に離婚して阿古屋城主・久松俊勝と再婚するも人質として織田方や今川方を転々とする家康を慰め、音信を断ちませんでした。
千姫の墓
千姫は慶長2年(1597年)4月11日に徳川秀忠と江の長女として、山城国伏見城内の徳川屋敷で産まれました。
慶長8年(1603年)7歳の時に徳川両家の関係を好転させるために大阪城に入り、豊臣秀頼公(11歳)に嫁ぎました。
墓所は伝通院と茨城県常総市の天樹院弘経寺、また徳川家(松平家)が三河時代から帰依していた浄土宗の総本山である京都の知恩院に、定例により分骨されて納められました。