
文京区と聞くと、「文豪ゆかりの地」や「教育のまち」というイメージが真っ先に思い浮かぶかもしれません。しかしその一方で、文京区にはもう一つの側面があります。それは、日本の医療機器産業の発展を牽引してきた「医療のまち」としての歴史です。
実は本郷・湯島地区では医療機器事業者が数多く集積しており、その規模は日本最大ともいわれています。
では、なぜ文京区は医療機器産業の中心地となり得たのでしょうか。歴史をたどりながら、その理由に迫ります。

■医療機器産業の始まりは小石川の工場から
明治初期、医療機器産業の草創期に重要な役割を果たしたのが、桐藤新三郎という人物でした。
医療器械業者としてドイツに留学し、最新の技術を学んで帰国した桐藤は、日本で初めて吸入器の国産化に成功。その製造工場を小石川に設置しました。
当初、この小石川周辺に医療器械工場が多かったものの、明治期の後半には状況が大きく変化します。本郷に9工場、小石川に1工場と比率が逆転していきました。
その大きな転機となったのが、東京医学校(現在の東京大学医学部)の本郷への移転です。これにより本郷台地は医学教育・研究の中心となり、研究者、医者、技術者が集まり、医療に関する高度な知と技術が集中するエリアへと変わっていきます。医療機器を製造する企業にとって、医療の最前線と近接することは大きな利点であり、自然と事業者が本郷へ集まっていきました。

旧東京医学校本館
現在、この旧東京医学校本館は小石川植物園内に移築され、国の重要文化財として残されています。文京区の「医療のまち」としての源流を今に伝える貴重な建物です。
(2025年11月30日現在は臨時休館中です。以前は一般公開されていました。)
■ドイツ医学の導入と第一次世界大戦
明治政府は近代医学の基盤としてドイツ医学を採用しました。
当時、医療機器の多くはドイツから輸入されていたため、国内産業は海外製品に依存し、国産化はなかなか進んでいませんでした。
しかし、第一次世界大戦がその状況を大きく変えます。
戦争によってドイツを中心としたヨーロッパとの物流が途絶え、医療機器の輸入が困難になります。
これにより、日本国内で医療機器を製造する必要が急速に高まり、国産医療機器の開発・生産が一気に進んだのです。
輸入が滞るという外部環境の変化が追い風となり、文京区を中心に日本の医療機器産業は徐々に力をつけ、後の発展につながる基盤が形作られていきました。

■文京区に医療産業が根付いた必然とは
文京区が医療機器産業の中心地となった理由は、歴史的背景だけではありません。同区には医療産業に必要な「知のエコシステム」が自然に存在していました。
・医学部・大学病院の集積
文京区には東京大学医学部、東京医科歯科大学、順天堂大学など、日本を代表する医療機関が密集しています。医学研究の最先端に触れられるだけではなく、医療現場のニーズを直接聞き取りながら製品を開発できる環境が整っています。
・研究者・技術者の距離が近い街
本郷台地を中心に、研究機関・病院・企業が徒歩圏内で結ばれています。中小企業が多い医療機器産業では、同一地域に集まることで情報交換や取引の効率が高まります。
・医療知識を支える出版文化
文京区は古くから出版・学術文化が根付く街です。医学書や専門誌の制作や取次が盛んで、医療機器メーカーが最新知識を得られる土壌が整っていました。
これらの条件が重なり、文京区では研究と開発、現場のニーズと技術者のアイデアがシームレスにつながる環境が形成されました。
近年では、医療現場のニーズ(医)とものづくり企業の技術(工)を結び付ける「医工連携」がさらに活発化しています。歴史ある医療機器事業者が多い文京区には、医療機器を製品化し医療現場に届けるノウハウが蓄積されており、この地域特有の強みと言えます。
■「医療のまち」で暮らす安心感
こうした産業の歴史は、現代の暮らしにも確かな恩恵をもたらしています。
文京区で生活するようになって私がまず実感したのは「良い医療機関との出会いがとても多い」ということでした。
内科、眼科、耳鼻科、小児科など、専門性の高いクリニックが生活圏の中に自然と揃っており、どこに相談すればよいか迷う場面が少ないです。医療へのアクセスが日常の延長上にある感覚は、暮らしてみて初めて分かる文京区の強みだと思いました。
子育て世代である私にとって、複数のかかりつけ医を安心して持てていることは、心の支えとして非常に大きいです。些細な不調でも相談出来、必要なときには専門医へスムーズにつながることができる、この安心感は決して当たり前ではありません。
考えてみれば、これは長い年月をかけて「医療の知」「医療の技術」「医療を支える産業」がこの地域に集まってきた結果です。
文京区に住むということは、その積み重ねの恩恵を日々受けながら暮らすことでもあるのだと、改めて実感しています。

東京大学医学部付属病院
■(まとめ)文京区は、過去と現在がつながる「医療のまち」
文京区に医療機器メーカーが多い理由は、歴史・教育・文化・産業が重なり合い、長い時間をかけて積み上げられてきたものです。
・桐藤新三郎の小石川工場に始まる国産医療機器の挑戦
・東京医学校の本郷移転による技術と人材の集結
・ドイツ医学の導入と第一次世界大戦がもたらした国内化の加速
こうした積み重ねがあったからこそ、文京区は今も「医療産業のまち」「安心して暮らせるまち」としての魅力を保ち続けています。
歴史を知ることで、いま目の前にある医療機器企業や病院の存在も、また違った価値を持って見えてくるかもしれません。文京区は過去から現在へ、そして未来へと続く「医療のまち」の歩みを今も紡ぎ続けています。


































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