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目白台にある肥後細川庭園とは?総理大臣にもなった細川護煕との関係

投稿日:2021/06/12by 
目白台にある肥後細川庭園とは?総理大臣にもなった細川護煕との関係

文京区の関口や目白台には、椿山荘や肥後細川庭園、文京区立目白台運動公園など大きな庭園や公園が多くあり、レジャーや運動などで地域の人々に多く利用されています。そこで今回は、歴史ある肥後細川庭園についてどのような庭園なのかまとめてみました。

 

肥後細川庭園とは

肥後細川庭園(旧・新江戸川橋庭園)は、東京都文京区目白台1丁目にある区立公園です。庭園内には、池の周囲を巡る経路の回遊式泉水庭園と松聲閣(しょうせいかく)と呼ばれる集会所があります。

園内の入園料は無料で、松聲閣の各部屋に特徴のある集会所は3時間30分で1000円程度で借りることもできます。

松聲閣

松聲閣

肥後細川庭園は令和元年に文京区の姉妹都市であるカイザースラウテルン市との姉妹庭園提携を結んでおり、海外の日本庭園の発展に貢献しています。

 

名前の由来、肥後細川家とは

それでは、肥後と細川家に分けて見てみましょう。

旧国名である肥後は現在の熊本県にあたります。細川家は南北朝時代から続く日本の武家・華族であった家系を指します。細川家は、多くの大名の中でも、鎌倉、室町、江戸、現代にまで名門として続いている稀有な家系とされています。

 

肥後細川庭園の住所・アクセス

肥後細川庭園の住所は、東京都文京区目白台1-1となっています。

アクセス

【電車】

東京メトロ有楽町線「江戸川橋駅」徒歩15分

都電荒川線「早稲田駅」徒歩5分

【バス】

Bーぐる「目白台一丁目」徒歩5分

都営バス「早稲田」徒歩5分

都営バス「ホテル椿山荘東京前」徒歩7分

江戸川橋駅から行く場合は結構距離がありますので、江戸川公園や椿山荘、東京カテドラル聖マリア大聖堂などを見ながら行くのがオススメです。

 

肥後細川庭園の特徴

現在の庭園の場所は、江戸時代中頃まで幕臣と呼ばれる幕府の長である征夷大将軍を直接の主君として仕える武士の邸宅でした。その後いくつかの変遷を得て肥後細川家の下屋敷となります。

肥後細川庭園は細川家の下屋敷の跡地に建てられました。現在では、細川家の下屋敷跡の場所には、和敬塾、永青文庫、肥後細川庭園があります。

左:和敬塾 右:永青文庫

左:和敬塾 右:永青文庫

 

江戸(東京)の熊本藩細川家の屋敷について

細川家の江戸の下屋敷は江戸時代には7つあったとされており、文京区の下屋敷は当時学問所として使われていました。のほかにも江戸の上屋敷(現在の丸の内オアゾ)があったことなどから如何に細川家の領土が広かったかが窺えますね。

 

目白台や関口エリアと明治・大正時代の繁栄

目白台や関口エリアの繁栄がどのようなものだったかを見ていく際には、明治時代や大正時代の特徴を見ていくとわかりやすいです。

初代総理大臣の伊藤博文

江戸時代「尊王攘夷論」を展開した吉田松陰の門下生であった伊藤博文は譲位活動に参加していました。しかしその後、1863年にイギリス留学から知った圧倒的な日本と外国の国力差から「異国を撃つ」という譲位は不可能であると知り、帰国後は開国派となりました。伊藤博文は明治維新後、20代後半で外国事務局判事、初代兵庫県知事に就任しています。西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允の「維新の三傑」が亡くなった後は明治政府を牽引し「明治の元勲」と呼ばれるようになりました。

 

明治時代の特徴、椿山荘や護国寺との関わり

江戸の大政奉還が行われ年号が明治になると、日本の初代の総理大臣の職は伊藤博文以来7代に渡り、薩摩(鹿児島)・長州(山口)の人物が務めることになります。この頃の政治は、薩摩・長州・土佐(高知)・肥前(佐賀県と長崎県)の4藩特に薩長の2藩の出身者が中心となり行われたため「藩閥政治」と呼ばれ、これに加え伊藤博文の掲げた立憲政友会のメンバーがこの時代の政治を動かしていくことになりました。

一方で、細川家も13代細川韶邦(よしくに)と14代細川護久(もりひさ)は公武合体の立場をとった後、明治新政府に恭順し、幕末からの動乱期を乗り越えようです。

目白台・関口周辺での重要な出来事として、長州出身である第3代・第9代内閣総理大臣となった山縣有朋(やまがたありとも)が、現在のホテル椿山荘東京にあたる土地を購入したことが挙げられます。山縣有朋は、庭園や邸宅を作り「椿山荘」と命名し、明治天皇をはじめとする当時の政財界の重鎮を椿山荘に招き、重要な会議をしていたとされています。

左:山縣有朋 右:椿山荘

左:山縣有朋 右:椿山荘

文京区の護国寺には、大隈重信や山縣有朋といったこの当時の総理大臣の墓所があり、明治から大正にかけて非常に活気があるエリアだったことがわかりますね。

 

肥後細川庭園の近隣施設

肥後細川庭園の近隣施設には以下のような施設があります。

永青文庫

永青文庫は、昭和25年に16代当主細川護立(もりたつ)により細川家に伝わる文化財の散逸を防ぐ目的で設立された美術館になります。国宝8点、重要文化財32点を含む美術品工芸品や歴史書9万4千点を所蔵しています。

永青文庫

 

和敬塾

細川家の本邸が和敬塾の本邸となっており、和敬塾は前川喜作によって作られた学生寮で、国内外の学生たちが生活しています。

和敬塾

 

椿山荘

椿山荘(ちんざんそう)は、文京区関口にある宴会施設・ホテルのある庭園です。四季折々の表情を見せる庭園は一般にも解放され、椿や桜など植物、三重塔といった史跡を楽しむことができます。

 

細川家と総理大臣

細川家の第18代当主である細川護煕(もりひろ)は第79代総理大臣に就任しました。1998年に60歳で政界を引退した後は陶芸家や茶人として芸術の分野で幅広く活躍するなど、現在では永青文庫の理事長を務めています。

細川護煕

 

肥後細川庭園まとめ

いかがだったでしょうか。目白台や関口といったエリアは現在は、公園や自然の多いゆったりとした雰囲気がある場所ですが、明治以降の時代変化についても少しでも伝われたば幸いです。文京つーしんでは引き続き皆様に役立つ情報を配信しておりますのでよろしくお願いします。

 

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◼︎ 詳細情報

肥後細川庭園の詳細

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