文京区春日一丁目には、歴史ある神社として北野神社があります。北野神社は牛天神と呼ばれ境内にも様々な場所に牛の形を見ることができるのですが、なぜ牛天神と名付けられるようになったのでしょうか。そこで今回は、文京区春日にあるこの牛天神北野神社についてまとめてみました。
北野神社の特徴
北野神社は、江戸時代金杉天神(かなすぎてんじん)、俗に牛天神(うしてんじん)と呼ばれた神社で、鎌倉幕府を作った源頼朝によって元暦元年(1184年)に創建された神社になります。本堂には学問の神様として有名な「菅原道真(すがわらのみちざね)」公が祀られています。
現在の春日二丁目付近は当時は、小石川金杉町(かなすぎちょう)と呼ばれており元禄の時期にも金杉水道町として名前が残っています。下の写真の「江戸名所図会」巻之四(国立国会図書館蔵)では江戸時代の牛天神の周辺の状況がわかるようになっており、当時の牛天神社は広くかなり小高い丘の上にあったことが分かります。
北野神社の創立の由来
北野神社の縁起は、以下のような理由となっています。
寿永元年(1182年)源頼朝が東国経営の時にこの地の下の老松に船を繋ぎ、風波の静まるのを待ちました。頼朝がうたた寝をしていると、その夢中に菅原道真公が現れて頼朝に「二つの良いことが起こる」と伝えました。その後、頼朝には二つのお告げの通りのことが起こり、同年に男児「頼家(よりいえ)」が生まれ、翌年には平家を西海に追うことができたとされています。頼朝はこれを大いに喜び、元暦元年(1184年)には道真に言われた通り、この地に社殿を造営したことが北野神社の創立の由来となっています。
また、頼朝の夢が覚めて菅原道真公の立っていた跡には、牛の形をした石があったため北野神社は「牛天神」として崇めらることとなりました。
牛天神 北野神社の住所・アクセス
次に、牛天神北野神社の住所を見てみましょう。牛天神北野神社の住所は東京都文京区春日1-5-2となっています。
春日駅周辺ということもあり、文京区の方でもこの辺りを利用するかたは多いと思いますが、知らずに過ごしているかたもいるのではないでしょうか。北野神社の入り口は、伝通院から続く安藤坂からすこし住宅街の方へ入った場所にあります。
北野神社アクセス
地下鉄丸ノ内線・南北線「後楽園駅」徒歩10分
地下鉄三田線・大江戸線「春日駅」徒歩10分
JR中央線・地下鉄東西線・南北線・大江戸線・有楽町線「飯田橋駅」徒歩10分
北野神社への行き方は、主に春日通りの富坂上から行く方法と牛込小石川線を利用した二つの方法があります。
初めての方は春日駅から小石川後楽園に向かう牛込小石川線を利用すると、牛天神下という交差点があるため、こちらの方がわかりやすかもしれません。
牛天神北野神社と葛飾北斎
牛天神や小石川のこの辺りの昔の風景を知ることができるものの一つとして葛飾北斎の版画があります。
葛飾北斎の富嶽三十六景「礫川雪の旦(こいしかわゆきのあした)」に描かれているものは、牛天神西側にあった茶屋を描いた作品とされています。
この茶屋は先ほどの「江戸名所図会」巻之四のこの場所をみてみると「や茶」と書いてあり、この場所に「お茶屋」があったことがわかりますね。
また、この辺りの旧地名である礫川(れきせん)は現在でも、春日駅近くの「礫川公園」や伝通院の近くの「文京区立礫川小学校」などにもその名前が残っています。
現在の牛天神北野神社は、周りに民家が立ち木が生い茂っているため遠くの方を見ることは出来ませんが、葛飾北斎のこちらの作品は現在では珍しい東京の雪景色と富士山が魅力的な作品ですね。実際に、葛飾北斎の富士山を描いた富嶽三十六景の全46点の中でも雪景色はこの1点しかないため非常に貴重なものとされているようです。
牛天神北野神社にはどのようなものがあるの?
牛天神北野神社には、本堂以外にも以下のものがあります。
ねがい牛
菅原道真公は、御生前大変牛を可愛がられた事でも知られています。源頼朝公が奥州へ東征の途中、此の地に休まれたとき、夢の中に牛に乗られた菅原道真公が現れ、願いが叶うことを告げられました。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とされ、大宰府天満宮より御魂を勧請されたと伝えられています。この牛天神境内にある「なで石(ねがい牛)」が、牛天神の始まりと言われています。
こちらの「なで石」は、撫でるとねがいが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されています。
牛石
牛石は、「伯牛(はくぎゅう)」と呼ばれ本堂の前にあります。
北野神社では、牛に乗った菅原道真公の御神託により牛を守護神として讃え牛天神社として八百三十二年の間、此の地をお護りしています。
また、御朱印に押印する黒牛は道真公の守護神として多くの天神社に祀られています。
太田神社・高木神社
北野神社の境内には、太田神社・高木神社もあります。太田神社・高木神社には、芸能の神・天鈿女命(あめのうずめのみこと)と道の神・猿田彦命(さるたひこのみこと)の御夫婦と宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)をお祀りしています。
こちらは、芸能上達、開運招福のご利益があるとされ、関東では牛天神の御末社、関西では京都と、全国でも二社でのみ祀られています。
中島歌子の記念碑
さらに、北野神社の境内南側には、明治時代の旧派の歌人であり、上流・中流階級の子女に和歌と書を教える「萩の舎」の塾長であった中島歌子の歌碑があります。
中島歌子は、病身となっていたため叶いませんでしたが、明治34年4月に近隣の文京区目白台に日本女子大学が成瀬仁藏によって設立されると、和歌の教授として迎えらています。萩の舎時代には、門下として梨本宮妃、鍋島侯夫人や前田侯夫人など婦人1000人余りがおり、樋口一葉、三宅花圃などは門弟として活躍しました。
こちらの記念碑は、歌子の死後明治42年(1909年)に門下生によって立てられたものになります。
牛天神北野神社まとめ
いかがだったでしょうか。今回の牛天神北野神社は、江戸幕府以前からの歴史ある神社であるため、その歴史を紐解いていくと昔の小石川の景色や、当時の人々の生活などと深く関わっていて様々なことが学べますね。文京つーしんでは皆様に役立つ情報を配信しておりますので引き続きよろしくお願いします。
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