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神田明神ってどんな神社?文京区のようで千代田区なのは何故?

投稿日:2022/01/15by 
神田明神ってどんな神社?文京区のようで千代田区なのは何故?

千代田区には、江戸の総鎮守として神田明神があります。人気のある神社であるだけに、神田明神の区画だけが文京区ではなく千代田区であることに疑問を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。そこで今回はこの神田明神についてまとめてみました。

 

神田明神とは

「神田明神」という名称は実は現在は正式ではなく、正式名称は「神田神社」と言います。この神田明神(神田神社)は、東京の中心である神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内、江戸神社奉賛会(旧神田市場)、魚河岸会(築地魚市場)の108町会の総氏神となっています。

「神田明神」の名前について

「神田明神」や「明神さま」という名称は江戸時代までの名称とされており、現在の「神田神社」という名称は、明治元年に神社が国家の管理下に置かれることになった際に、神仏分離や神社の統一を測るために「神社」と変更されたことに由来します。

江戸時代から「明神さま」として親しまれており、現在でも「神田明神」として呼ばれているあたりは地元の方からの信仰が深いことが深いことが伺えますね。

「江戸総鎮守(そうちんじゅ)」とはどのような意味?

神田明神は「江戸総鎮守」とされていますが、「総鎮守」とはどのような意味なのでしょうか。

これは文字通り「江戸の総て(すべて)を鎮(しず)め守(まも)る」神社を意味します。

神田明神は、江戸幕府が開かれた際に幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616年)に江戸城の表鬼門を守護する現在の場所に移り、幕府によって社殿が造営されました。

江戸時代の鬼門・裏鬼門については、諸説あるのですが、陰陽道によると北東と南西を忌まわしき方角としており、江戸城の北東の「鬼門」には「神田明神」、南西の「裏鬼門」には現在の永田町にある「日枝神社」を造設し、邪気が入り込むのを防いだとされています。

日枝神社

日枝神社

神田明神の住所・アクセス

次に神田明神の住所をみてみましょう。神田明神の住所は、東京都千代田区外神田2-16-2となっています。

文京区にお住まいの方にはお馴染みですが、御茶ノ水駅から聖橋(ひじりばし)を渡って、湯島聖堂を超えた交差点付近にあります。この他にも、神田明神までの行き方にはさまざまなアクセス方法がありますので、参考までに挙げておきます。

神田明神のアクセス

JR中央線・総武線「御茶ノ水駅」徒歩5分

京浜東北線・山手線「秋葉原駅」徒歩7分

東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水駅」徒歩5分

東京メトロ千代田線「新御茶ノ水駅」徒歩5分

東京メトロ銀座線「末広町駅」徒歩5分

東京メトロ日比谷線「秋葉原駅」徒歩7分

 

神田明神の創立・変遷

神田明神の創建は、奈良時代の天平2年(730年)になります。出雲氏族で大己貴命の子孫である真神田臣の一族により、現在の千代田区大手町・将門塚周辺に立てられました。神田明神の「神田」という名前もこの創建された神田地区に由来していると言われています。

現在の将門塚

将門塚(千代田区)

その後江戸幕府が開かれた慶長3年(1603年)に江戸城拡張のために駿河台に移され、元和2年(1616年)4月には、江戸城の表鬼門の守護のために現在の場所に移されました。

 

神田明神に祀られている神様

では、どのような神様が神田明神には祀られているのでしょうか。神田明神には、以下の三柱の神々が祀られています。

大己貴命(おおなむちのみこと)

大己貴命(おおなむちのみこと)だいこく様

一宮・大己貴命は「だいこく様」と呼ばれる七福神の一人で、日本の国をつくったとされている神様です。現在では、「国土開発」「夫婦和合」「縁結び」の神様として崇敬されています。

少彦名命(すくなひこなのみこと)

少彦名命(すくなひこなのみこと)

二宮・少彦名命は「えびす様」と呼ばれる七福神の一人で、「商売繁盛」の神様として、また魚群を岸に追い込み大漁をもたらすイルカやクジラにも例えられる海の幸を象徴する神様です。

平将門命(たいらのまさかどのみこと)

平将門

三宮・「まさかど様」、平将門公は、承平(931〜938年)天慶(938〜947年)の間、武士のルーツ「兵(つわもの)」として自ら戦の先頭に立ち、関東の政治改革をはかり民衆からも信望も厚い人物でした。徳治2年(1307年)に遊行寺二世真教上人が江戸を訪れた際、平将門を祀っていた将門塚が荒れていたため、塚を修復し、板石塔婆をたてて傍らの日輪寺において供養したとされています。その後、将門塚に祀られていた霊は延慶2年(1309年)に神田明神に合祀しました。現在では「まさかど様」として除災厄除のご神徳を持つ神様とされています。

 

神田祭

神田明神の祭礼である「神田祭」は、江戸時代には江戸城内に入り徳川将軍が上覧したため、御用祭りや天下祭りとも呼ばれました。また、神田祭は、その歴史や大きさから日本三代祭・江戸三代祭の一つとして数えられています。

現在では、一週間にわたり神田祭として以下のような祭礼行事が行われています。

1日目:鳳輦目・神輿遷座祭(ほうれん・みこしせんざさい)

鳳輦・神輿遷座祭は、三柱の御神霊を鳳凰(ほうおう)の飾りをつけた神輿にうつす神事となっています。

明神様の御神霊は、夕刻から夜にかけて氏子総代や祭典委員に見守られる中、松明の灯りに導かれて奉安庫に納まる三基の鳳輦・神輿に移されます。

2日目:氏子町会神輿御霊入れ(うじこちょうかいみこしみたまいれ)

氏子108町会が有する200基もの神輿に、明神様の御神霊をうつす神事となります。

夕暮れ時に、氏子各町会の神輿が奉安される神酒所・御仮屋にて神田明神の神職たちにより執り行われます。この後、神田をはじめ日本橋、大手・丸の内、秋葉原全土で「神田祭」が始まります。

3日目:神幸祭(しんこうさい)

神幸祭は神田祭の中心となる神事です。三柱の御神霊をうつした鳳輦をはじめ諫鼓山車、獅子頭山車などからなる行列が東京都心の108町会を巡り、各町会を祓い清めます。

4-5日目:神輿宮入(みこしみやいり)

神輿宮入は大小200を超える拡張の神輿が、神田の街を練り歩きながら神田明神を目指します。

5-6日目:献茶式、明神能・幽玄の花

献茶式は国内茶道流派の一つで、千利休を家祖とする流派である表千家元奉仕による献茶の儀式です。たてられた茶は、明神様の神前に奉納されます。

明神能では、神田明神が所蔵する能面や能装をまとい神田明神の神職や巫女による明神能が披露されます。

7日目:例大祭

例大祭では、氏子の幸せと日本の繁栄、平和を祈念し、「巫女舞」や祝詞奏上、礼拝などが行われる神事となっています。

以上のように現代でもこれまでの時代を引き継いだ神田祭が行われており、歴史ある行事を見ることができます。

 

近年の神田明神

令和12年(2030年)に創建1300年を迎える神田明神では、「文化の鼓動を生む」を合言葉にして「創建1300年記念事業」を展開しています。現在は、「伝統と革新」をコンセプトにする文化交流館もあり、神社へのお参りだけでなく喫茶店や伝統工芸品といった日本の文化に触れ合える場所となっています。

神田明神文化交流館EDOCCO

神田明神文化交流館EDOCCO

 

神田明神のまとめ

いかがだったでしょうか。神田明神は創立や御神霊だけでなく氏子が神田周辺の地域と深いつながりがある神社ということがわかりますね。少し残念ですが、このような歴史を見ていくと文京区ではないことも納得できます。文京つーしんでは、この他にも皆様の役に立つ情報を配信しておりますので引き続きよろしくお願いします。

 

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◼︎ 詳細情報

神田明神について

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