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文京区の小石川七福神ってどういう神様?小石川七福神めぐり

投稿日:2026/02/28by 
文京区の小石川七福神ってどういう神様?小石川七福神めぐり

東京都文京区には、数多くの神社や寺院があり、それぞれに長い歴史と由来があります。小石川周辺では、こうした寺院に祀られている神様が「七福神」として親しまれています。そこで今回は、文京区小石川周辺をめぐる七福神についてまとめてみました。

 

小石川七福神について

では七福神とはどのようなものなのでしょうか。

七福神の由来

除難や招福を願って七福神を巡る「七福神詣で」の起源には、はっきりとした定説はありませんが、15世紀頃には京都で行われていた記録が残っています。その後、天海僧正が徳川家康に対し、『仁王護国経』の「七難即滅、七福即成、人民安楽、帝王歓喜」という言葉を引用し、「将軍には長寿や人望、威光などの七つの福が備わっています」と申し上げました。そして、それにふさわしい存在として寿老人などの七福神を示したことから、七福神信仰が広く一般に広まったとされています。

今回取り上げた小石川七福神は、平成7年(1995年)に発足しました。

文京区内で小石川ってどのあたり?

東京都文京区小石川は、文京区の中央、東京ドームシティや小石川後楽園の北側に位置しています。

東京都文京区小石川の地図

文京区小石川の七福神について

小石川七福神が祀られている場所は、東京都文京区小石川周辺のエリアです。文京区ではこの七福神をめぐるルートとして東京ドームシティのインフォメーションにてパンフレットや色紙が販売されています。

東京ドームインフォメーションセンター

東京ドームインフォメーションセンターは、東京ドームの正面に位置する建物です。

文京区の東京ドームシティインフォメーションセンター

建物内では、東京ドームシティの総合案内をしています。ここに小石川七福神めぐりの案内パンフレット(兼 案内地図)が100円で売られています。その他には、小石川七福神めぐりの専用色紙などもあります。

小石川七福神めぐりパンフレット

小石川七福神めぐりパンフレット

小石川七福神の各所には、専用のスタンプが用意されており、スタンプを集めながら巡るのも楽しみ方の一つです。七福神と呼ばれていますが、弁財天が男女それぞれ祀られているため、実際には全部で8か所を巡ることになります。また、小石川七福神は寺社だけでなく、東京ドームシティやマンションの敷地内などにも祀られているのが特徴です。そのため、街を散策しながら気軽に巡ることができます。
※七福神めぐりということもあって七福神の像をみられると思うかもしれませんが全ての像がみられるわけではないようです。

 

小石川七福神めぐりのルート

七福神のルートは以下のようになっています。

東京都文京区小石川七福神めぐりマップ

① 旧水戸屋敷と東京ドームシティ(福禄寿)
② 源覚寺(毘沙門天)
福聚院(大黒天)
④ 真珠院(布袋尊)
⑤ 極楽水(弁財天-女)
⑥ 宗慶寺(寿老人)
⑦ 徳雲寺(弁財天-男)
⑧ 深光寺(恵比寿)

小石川七福神めぐりは、東京ドームシティから茗荷谷駅周辺までの2.0kmくらいの距離となっており、細かくみてまわると1時間30分から2時間程度かかります。パンフレットのルートでは、後茗荷谷駅から春日通りを使って東京ドームシティに戻ってくるようになっていますが、特に片道でも問題ありません。

 

小石川の寺院と小石川七福神について

では、小石川七福神についてそれぞれの場所とその神様をみていきましょう。順序はルートで記された順序で記載しています。

① 旧水戸屋敷と東京ドームシティ

福禄寿(ふくろくじゅ)旧水戸屋敷と東京ドームシティ

住所:東京都文京区後楽1-3-61

この地には、かつて水戸徳川家の上屋敷がありました。三代藩主の徳川光圀の時代に完成した現在の小石川後楽園には、当時、福禄寿が祀られていました。

庭園に隣接していた屋敷の跡地には、現在、東京ドームがあります。東京ドームは、野球場を中心に、ラクーアやアトラクション、ホテルなどを備えた総合娯楽施設となっています。

このような歴史的な縁から、福禄寿は現在、東京ドーム敷地内に再び祀られています。場所は、22番ゲート前の総合案内所の横にある「クリスタルポイント(ガラスの三角塔)」の奥、植え込みの中にあります。

福禄寿(ふくろくじゅ)

福禄寿は、長く大きな頭と豊かな白ひげを持つ老人の姿で表される福の神です。長寿や幸福、そして人格の円満を授けてくれる神とされています。また、星と深い関わりを持つ神ともいわれています。

かつてこの地にあった水戸藩の屋敷(旧水戸屋敷)で福禄寿が祀られていたことにちなみ、その跡地である現在の東京ドームにも、福禄寿が祀られるようになりました。

源覚寺(げんかくじ)〈こんにゃく閻魔〉

源覚寺と毘沙門天

住所:東京都文京区小石川2-23-14

源覚寺は、傳通院の三世・定誉随波上人によって開かれました。

この寺は「こんにゃく閻魔」の名で親しまれています。安置されている閻魔大王の像は、昔、小野篁が刻んだと伝えられています。宝暦年間(1751〜1764年)の頃、目の病に苦しむ老婆がこの像に回復を祈願しました。すると閻魔大王が自らの片目を与えて願いをかなえたといわれています。老婆はそのお礼として、好物だったこんにゃくを断ち、閻魔大王に供えました。これが「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになった由来です。

また、歯の痛みの回復を祈願する「塩地蔵尊」も祀られています。

毘沙門天(びしゃもんてん)

毘沙門天は、別名を多聞天といい、仏教の守護神である四天王の一尊です。甲冑を身にまとい、左手に宝塔、右手に鉾を持つ姿で表されます。宝塔は福を授けることを、鉾は悪を退ける力を表しています。

この寺の毘沙門天像は、もともと祀られていた絵に代わって、新たに木彫りで作られたものです。

福聚院(ふくじゅいん)

福聚院と大黒天

住所:東京都文京区小石川3-2-23

福聚院は、傳通院の鎮守寺として、江戸時代末期に伝通院三十六世・霊応上人によって大黒天が祀られた寺です。大黒天を本尊とし、家の繁栄、商売繁盛、願いごとの成就、厄除け、交通安全などを祈願することができます。特に「甲子(きのえね)の日」には、大黒天の祭りとして護摩祈祷が行われます。

境内には、咳の回復や子どもの健やかな成長を願う「咳止め子育て地蔵」もあります。咳が治ったお礼として唐辛子を供える風習があり、「唐辛子地蔵」とも呼ばれています。

大黒天(だいこくてん)

福聚院の大黒天は、甲冑を身にまとい、災難から人々を守る姿で表されています。右手に宝袋、左手に宝棒を持ち、災いを防ぎ、福をもたらす古い形式の大黒天像です。

その後、大黒天は福の神としての信仰が広まり、大国主命の信仰と結びついて、俵の上に座る現在の姿が一般的になりました。

福聚院の大黒天は、「出世大黒天」「叶大黒天」とも呼ばれ、多くの人々の信仰を集めています。

真珠院(しんじゅいん)

小石川七福神の真珠院と布袋尊

住所:東京都文京区小石川3-7-4

真珠院は、徳川家康の生母・於大の方(伝通院殿)の生家である水野家の菩提寺です。水野家は、もともと松本藩、のちに沼津藩の藩主となった家です。開山は運蓮社霊誉単無上人、開基は水野忠清公(真珠院殿)です。

境内の墓地の奥には、歴代藩主の墓碑があり、その近くに布袋尊の大きな石像が祀られています。

また境内には、布袋尊にゆかりのある釈迦・弥勒・地蔵を祀る三尊堂や、浄土二十五霊場を模した砂踏霊場、二十五菩薩を表した岩山などがあり、浄土の世界を表現した庭園も見どころとなっています。

布袋尊(ほていそん)

布袋尊は、弥勒仏の化身とされる福の神です。大きなお腹は広い心を、袋を背負う姿は今あるものに満足する心を、そして笑顔は寛容さの大切さを表しているといわれています。

この寺の布袋尊は、先代の住職が「墓地の中を歩く布袋さまを見た」という夢をきっかけに祀られるようになりました。

極楽水(ごくらくすい)

小石川七福神の極楽水と弁財天(女弁天)

住所:東京都文京区小石川4-16-13 小石川パークタワー公開緑地内

極楽水の由来については、以下のように伝えられています。

江戸時代の記録『江戸名所記』によると、傳通院を開いた了誉聖冏(りょうよしょうげい)上人がこの地に草庵を結んだとき、龍女が姿を現し、仏の教えについて教えを求めました。上人が阿弥陀仏の教えを説くと、龍女はその恩に報いるため、清らかな水を湧き出させたと伝えられています。

その後、時代とともに場所は変わりましたが、龍女にゆかりのある弁財天の祠は、現在も小石川パークタワーの庭園内に残されています。

弁財天(べんざいてん)

弁財天は、話術や音楽、芸術などの才能を授ける女神です。もともとはインドの神で、梵天の配偶神ともいわれています。現在では、財運をもたらす神としても広く信仰されています。

この祠では、白蛇をご神体としてお祀りしており、あわせて女神の姿を描いた絵も祀られています。

宗慶寺(そうけいじ)

小石川七福神の宗慶寺と寿老人

住所:東京都文京区小石川4-15-17

かつて「極楽水」と呼ばれた吉水のほとりに、聖冏(しょうげい)上人が「伝法院」と呼ばれる草庵を結びました。

徳川家康の死後、側室の阿茶の局(松平忠輝の生母)は俗世を離れ、この伝法院で静かに暮らしました。そして亡くなった後、この寺に葬られました。その法名「朝覚殿貞誉宗慶大姉」にちなみ、寺の名前は宗慶寺と改められました。

聖冏上人は「三日月上人」の名で親しまれ、後に寿経寺(現在の傳通院)を整備し、多くの優れた僧を育てました。

寿老人(じゅろうじん)

寿老人は、健康と長寿を授ける福の神です。豊かさと長生きをもたらす神とされ、中国の思想家で道教の祖である老子の化身ともいわれています。道教では「寿星」とも呼ばれ、学問の神としても知られています。

聖冏上人のゆかりのあるこの寺の寿老人像は、田中舒久氏によって作られた木像となっています。

徳雲寺(とくうんじ)

小石川七福神の徳雲寺と弁財天(男弁天)

住所:東京都文京区小日向4-4-1

徳雲寺は、一翁碩觜禅師によって開かれた、臨済宗円覚寺派の寺院です。創建当初は「解脱寺」と呼ばれていましたが、その後「白鴎山江南寺」を経て、現在の「妙峯山徳雲寺」という名前になりました。開基は、旗本の深谷又左衛門らです。

江戸時代の記録『新編江戸誌』には、境内に古い大きな椎の木があり、元禄年間(1688〜1704年)に将軍が訪れた際、「椎木寺」と呼ばれたことから、これが寺の通称になったと記されています。

また、文化財として「キリシタン地蔵」が残されていることでも知られています。

弁財天(べんざいてん)〔男神像〕

弁財天は、芸術や財運を授ける神として信仰され、一般的には女神の姿で表されます。これは、インドの女神や、日本の宇賀神(うがじん)という神の信仰が結びついて生まれたものとされています。

徳雲寺の弁財天は、円覚寺の国宝である梵鐘にゆかりを持つ弁財天の分身とされる像です。人の顔に蛇の体を持つ姿で、しかも男性の顔をした珍しい弁財天として知られています。

深光寺(じんこうじ)

小石川七福神の深光寺と恵比寿

住所:東京都文京区小日向4-9-5

深光寺は、寺の伝承によると、徳川家に三代にわたって仕えた御用人・森源七郎(深光院殿)が、恩返しと家の繁栄を願い、寛永年間(1624〜1644年)に創建したとされています。開山は顕蓮社善誉上人です。本堂の左奥には、「著作堂隠誉蓑笠居士」と刻まれた唐破風型の墓石があります。これは、『南総里見八犬伝』で知られる江戸時代の作家・滝沢馬琴の墓です。

また、墓地にはキリシタン灯籠もあり、深光寺の見どころの一つとして知られています。

恵比寿

恵比寿神は、商売繁盛や財運をもたらす福の神で、日本で生まれた唯一の福神とされています。鯛を抱え、釣り竿を持つ姿は、「網を使わず釣りをする」という意味があり、正直に働き、不当な利益を求めないことの大切さを表しています。

この寺の恵比寿像は、もともと祀られていた絵の前に置く像(お前立)として、石田栄一氏によって制作されたものです。

 

その他の見所

小石川七福神めぐりのルートには、文京区を代表する名所が点在しています。例えば、歴史を感じさせる善光寺坂や、地域のシンボルとなっているむくの木、そして桜の名所として知られる播磨坂などがあります。中でも傳通院は、徳川家の菩提寺として知られる由緒ある寺院であり、小石川七福神とも深い関わりがあります。七福神めぐりとあわせて参拝することで、この地域の歴史や文化をより深く感じることができます。

伝通院正面

伝通院(傳通院)

 

文京区の小石川七福神まとめ

いかがだったでしょうか。小石川は、文京区の中でも人気の住宅街として知られていますが、身近な場所にこのような歴史ある七福神めぐりのスポットがあるのは魅力的ですね。散策を楽しみながら巡ることで、運気が上がるような気持ちになるかもしれません。文京つーしんでは皆様の役に立つ情報を配信しておりますので引き続きよろしくお願いします。

 

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