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菊坂にある旧伊勢屋質店と樋口一葉の晩年の暮らしを巡る

投稿日:2021/04/26by 

樋口一葉の名前を聞けば、五千円札を思い浮かべる人も多いでしょう。

 

一葉は文京区とゆかりの深い人物でもあります。

 

文京区内には今でも彼女の暮らしていた跡が残されています。

 

彼女の人生に思いを馳せながら、晩年に関わりのあった場所を中心に巡っていきたいと思います。

 

樋口一葉とは?

 

24歳6か月という若さで肺結核により亡くなった小説家です。

 

晩年の14か月で現代にまで残る作品を多く輩出し、女性が職業作家として生きていくための道を切り開いたと言われています。

 

中流階級の比較的裕福な家庭に生れながら、兄と父という大黒柱を次々と亡くし、父の残した借金を抱えながら家督を継ぐことになったのが、18歳だったそうです。

 

家賃の安い場所に……と引っ越してきたのが、現在の文京区本郷にある菊坂だったそうです。

 

一葉は生涯で現在の千代田区、港区、台東区などを含む計16か所に住んでいたと伝えられています。

 

うち文京区では計約11年と人生の半分近くを過ごし、晩年の多くの時間を過ごしたのもまた文京区でした。

 

旧伊勢屋質店との関係

 

小説家として生計を立てる前は、母や妹と針仕事や洗濯などの内職をしていたそうです。

 

しかし、亡き父の借金の返済もあり、お金には大変困っていたということが彼女の日記から伺うことができます。

 

「この夜伊せ屋か(が)もとにはしる」「今日母君いせ屋か(が)もとに又参り給う」などと頻繁に見受けられる「伊勢屋」とは菊坂にあった質店です。

 

知らない人のために簡単に説明すると、質屋とはお金を借りられる場所です。

 

お金になるようなものを質屋に入れると、それを担保にお金を借りることができます。

 

借りていた分に上乗せをしてお金を返せば、質に入れていたものを取り戻すことができます。

 

期限内にお金を返せない場合、預けていたものは質屋の所有物となります。

 

一葉は衣類を度々伊勢屋質店に持ち込み、お金を工面していたそうです。

 

この伊勢屋質店は「旧伊勢屋質店」として文京区の指定有形文化財になり、跡見学園女子大学の管理の元、菊坂に現存しています。

 

旧伊勢屋質店を見学!

 

旧伊勢屋質店は無料で公開されています。

 

公開日は土日祝日が中心ですが変則的なため、あらかじめ日程を確認してから向かうのがおすすめです。

 

最寄駅は都営三田線の春日駅で、A6出口から徒歩約5分のところにあります。

 

出口からは右に向かい、「菊坂下」という交差点を右に折れます。

 

旧伊勢屋質店までは緩やかな坂になっており、途中には美容室、郵便局、和菓子屋、イタリアンレストラン、そしてロシア料理レストランなどがあります。

 

少し歩き、左手に見えるこちらの建物が旧伊勢屋質店です。

 

 

左手の白い建物が土蔵で、右が見世(見世棚の略で、店舗スペース)や座敷になっています。

 

受付を済ませ、まずは土蔵から見学です。

 

一歩踏み入れば、時代が令和であることを忘れてしまいそうになります。

 

土蔵ということで貴重品を保管するからか、窓も小さく、全体的に暗く重厚な雰囲気です。

 

踏めば大きく軋む床板は使い込まれて黒く艶やかで、人の出入りの多さと歴史を感じます。

 

棚や行李は展示されていますが、さすがに質入れされたものまでは置かれていませんでした(笑)

 

防犯のために鉄格子が設置されています。

 

 

造りは2階建てですが、残念ながら階段を上ることはできません。

 

しかし、1階の天井の一部が解放されており、見上げるとこのような光景が。

 

 

当たり前ではありますが、木材だけ組まれています。

 

もちろん修繕はされていると思いますが、震災や戦争を乗り越え、現代にまで残るくらいですから、とても頑丈な造りであることがわかりますね。

 

土蔵を離れ、案内に従って次の見学場所へ。

 

通路となる廊下は狭く、人ひとり歩くのがやっとかな、という印象です。

 

廊下の左手には中庭が見えます。

 

 

小さいながらもわざわざ設けられているのは、日当たりと風通しを確保するためだそうです。

 

そして、廊下を挟んで中庭の隣にあるのが、8畳ある座敷です。

 

 

奥に飾られている暖簾は実際に使用されていたもののようです。

 

お次はこちらの部屋です。

 

 

格子の仕切りが現代人の私の目にはレトロでおしゃれに移りますが、目隠しとしてプライバシーを守りつつ、風通しを確保できるという機能性を重視した故のデザインなのですね。

 

奥に扇風機があるのがわかりますでしょうか?

 

 

「一葉が生きた時代は明治だし、この扇風機は最近置かれたものだろう。でも、それにしては古い型の扇風機だな」

 

と思い、受付時に頂いたパンフレットを見て、驚きました。

 

伊勢屋質店は創業が1860年、店を閉じたのが1982年のようです。

 

つまり時代が平成に変わる少し前まで、122年もの間、時代の波に吞まれそうになりながらも営業を続けていたんですね。

 

建物もですが、質屋というお店は社会背景を色濃く映しており、貴重な記録も残しているという側面からも、価値のある文化財であることがわかりますね。

 

出口付近にあるのがこちらの台所。

 

 

こんな小さいスペースで何人前もの調理をしていたと思うと、この時代の人は器用で要領がよかったのだなぁと想像を膨らませてしまいます。

 

そして最後に見られるのがこちらですが、なんだと思います?

 

 

正解は……なんとお風呂場です!とても趣がありますね。

 

深さがあるので、酔っぱらって入浴したら溺れてしまいそうです(笑)

 

お風呂場はすぐ裏口につながっており、あまりプライバシーの配慮がないことにもちょっと驚きです!

 

なお、旧伊勢屋質店内は写真撮影が可能ではありますが、フラッシュや三脚、自撮り棒の使用等は禁止されています。

 

また靴を脱いでの見学になりますので、素足も避けた方がいいと思います。

 

樋口一葉旧居跡へ

 

旧伊勢屋質店から少し歩いたところに、樋口一葉が暮らしていた場所の跡地があります。

 

わかりづらい場所にあるため、写真を使いながら説明します。

 

旧伊勢屋質店を出て、左に向かって歩きます。

 

右手に見えるこちらの階段を下ってください。

 

 

左に少し進むと、右手には狭い路地裏が。

 

 

ここが、樋口一葉が暮らしていた場所だそうです。

 

周囲には現代的な建物が並んでいるのに、ここだけ異空間で、タイムスリップをしてしまったよう。

 

この景色の醸し出す雰囲気は、現代のせわしない空気とはかけ離れており、見ていると心に落ち着きをもらえます。

 

残されている井戸は、防災時に使用できるとのこと。

 

旧伊勢屋質店からは徒歩約2分程度ですので、合わせて見学をすると、より楽しめるかと思います。

 

ただし、こちらは一般の民家が立ち並ぶ場所になります。

 

見学や撮影は節度を守って行いましょう!

 

樋口一葉終焉の地

 

樋口一葉が最期を迎えたのもまた、文京区内でした。

 

都営三田線の春日駅を出て、白山通りを千石方面向かって歩き、約5分の場所にあります。

 

コナカとまいばすけっとのお店の前に、こちらの石碑が。

 

 

一葉の戸籍名は「奈津」ですが、彼女が良く名乗っていた「夏子」の名前が詩と共に刻まれています。

 

今はもうわかりやすい痕跡は残されていませんが、最期を過ごしたこの場所からたくさんの小説を世に送り出したかと思うと、感慨が深いものです。

 

今回紹介した3か所はどこも無料で見学可能。

 

それぞれの場所も近いので一度の訪問でまとめて見やすいかと思います。

 

樋口一葉のファンはもちろん、知的好奇心をくすぐる散策を楽しみたい方にもとってもおすすめです!

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