文京区小石川には徳川家の祖先の位牌を収めている伝通院があります。伝通院は代々徳川家の女性や子どもが埋葬されているため「女寺」と呼ばれていました。それに対して徳川家の将軍を埋葬している寺院が増上寺になります。そこで今回は、この増上寺がどのような寺院なのかまとめてみました。
増上寺ってどんな寺院?宗派や起源、伝通院との関係について
増上寺は、法然上人が開山した浄土宗の七大本山のひとつです。正式名称は「三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)」となっています。
増上寺の設立は、明徳4年(1393年)に酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に創建されました。江戸時代になると、天下人となった徳川家の菩提寺となり、慶長3年(1598年)に現在の芝の地に移転することとなります。
江戸時代の徳川将軍家の菩提寺
徳川家康は天下人となり江戸に入国した後、宗教政策を実施し助言役として多くの僧侶や寺院と親密な関係をもつこととなります。
当時の増上寺の住職であった源誉存応(げんよぞんのう)上人もその一人であり、徳川家康は増上寺に徳川家の菩提寺となることを帰依しました。源誉存応上人は増上寺が徳川家の菩提寺となったことから京都で天皇にも「普光観智国師」の号を贈られ、観智国師として増上寺と浄土宗を大きく発展させました。
増上寺はどこにあるの?住所や行き方、最寄駅など
増上寺の住所は東京都港区芝公園4-7-35となっています。
港区芝公園の中にあり、東京タワーからも近く建物自体も大きいためわかりやすいです。
電車やバス、車での行き方
【電車の場合】
都営三田線「御成門駅・芝公園駅」徒歩3分
都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門駅」徒歩6分
JR山手線・京浜東北線「浜松町駅」徒歩10分
【都バスの場合】
「東京タワー都道沿い」徒歩4分
【車の場合】
首都高速芝公園出口より約500m
電車を利用する場合、「大門駅」や「浜松町駅」から竹芝通り沿いに行くと増上寺大門も見ることができます。
文京区にある伝通院と増上寺の関係
では、伝通院と増上寺の関係はどのようなものなのでしょうか。
「女寺」としての伝通院
徳川家康の生みの親である「於大の方」が埋葬さている伝通院なりたちは、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利した際、息子が作った泰平の世を近くで見守りたいという親心から江戸埋葬を遺言に残したことにあります。その後、「伝通院」は徳川家にゆかりのあった女性や幼い子どもが埋葬されていることから「徳川家の女寺」と呼ばれるようになりました。
「男寺」としての増上寺
一方で、増上寺は上野にある「寛永寺」と共に徳川将軍家の菩提寺です。増上寺には、ニ代秀忠公、六代家宣公、七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の六人の将軍などが埋葬されており、徳川家の「徳川家の男寺」と呼ばれています。
ただ、現在では完全に男女に分かれているかというとそうではなく、二代目秀忠公の夫人・大江の方や十四代目家茂公の夫人・和宮さまなども埋葬されています。
増上寺と伝通院の位置関係
次に増上寺と伝通院の位置関係をみて行きたいと思います。
文政11年(1828年)版の江戸地図では、中央に江戸城があり、南に「増上寺」北に「伝通院」が描かれています。全体地図からではわかりにくいですが、アップにすると確かに「三縁山増上寺」と「伝通院(傳通院)」と縦書きで描かれていますね。
現在でも、増上寺と伝通院の敷地の大きさは変わっていますが大体同じ位置にあります。
関東十八檀林の筆頭としての増上寺
増上寺はまた、関東十八檀林の寺院としても有名です。
檀林とは、僧侶養成のための修行および学問所です。檀林制度は、徳川家康が提唱したものであり徳川幕府を支えた宗教政策の一環ともなりました。
浄土宗では、関東各地にある十八の檀林のどこかで学ばなければ僧侶になることはできなかったため、全国の浄土宗僧侶の志願者がこの十八のお寺に募ってきました。慶長18年頃(1613年)には増上寺から伝通院に学問僧が300人ほど移されるなど、二つの神社の関係は密接なものであることがわかります。
増上寺は、江戸時代には常に三千人の層が修行に励み寺領は1万余石(≒33,000㎡以上)までにのぼったといわれています。入寺許可条件があったにも関わらす、入寺希望者が江戸檀林に集中したため、幕府は貞享2年(1685年)に毎年新しく受け入れる入寺者数を増上寺70人、伝通院50人としました。
これらのことから、江戸時代ではさまざまな宗派の寺院が非常に力を持てる時代だったことがわかりますね。
増上寺にはどのような施設があるの?
では、増上寺にはどのような施設があるのでしょうか。
三解脱門(三門)
増上寺の表の顔となっている三解脱門(さんげだつもん)、通称三門です。三解脱門とは、三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門となっています。三解脱門は元和八年(1622)年に建立され、江戸初期の唯一の建築物となっており現在では国の重要文化財ともなっています。
大殿(本堂)
増上寺の大殿は、浄土宗大本山の念仏の根本道場として、首都圏では最大級の御堂です。大殿の二階には本堂があり、三階に道場、一階に檀信徒控室、地下に増上寺宝物展示室を備えています。大殿の景観は背後にそびえ立つ東京タワーとあいまって増上寺の威厳の高さを窺わせます。
安国殿(あんこくでん)
安国殿は、戦争で焼失した大殿の代わりに仮本堂としていた建物を、昭和49年(1974)年に移転し、徳川家康公ゆかりの「黒本尊」を祀る御堂としました。現在は、安国殿にて増上寺のパンフレットをはじめ香典やお守りなどを購入できます。
徳川将軍家墓所
徳川将軍家の将軍ほか、夫人や正室・側室の方々といった徳川家に関わりのあった人々が埋葬されています。
増上寺についてのまとめ
いかがだったでしょうか。文京区の周辺の地区にも文京区の建造物と関連のある江戸時代を代表する場所が多くあるのがわかります。日頃何気なくみている寺院でも歴史を知ると新たな繋がりや発見がありますね。文京つーしんではこの他にも皆様に役立つ情報を配信しておりますのでよろしくお願いします。
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