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国立西洋美術館を設計したル・コルビュジエとは?文京区との繋がりなど

投稿日:2022/07/23by 
国立西洋美術館を設計したル・コルビュジエとは?文京区との繋がりなど

上野公園にある国立西洋美術館は、ル・コルビュジエの設計した建築物として2016年に世界文化遺産に登録された美術館です。この国立西洋美術館は、前川國男をはじめ日本人の著名な建築家が携わっていることでも有名です。そこで、今回は、このル・コルビュジエと国立西洋美術館、文京区との関係ついてまとめてみました。

 

ル・コルビュジエ(Le Corbusier)とは

ル・コルビュジエ

ル・コルビュジエ

ル・コルビュジエは、本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ、スイスのラ・ショー・ド・フォン出身でフランスで活躍した建築家です。ル・コルビュジエの父は時計の彫金師、母はピアノの教師、兄は作曲家でした。

エドゥアール(後のル・コルビュジエ)は、地元の美術学校を出たあとは父と同じ彫金師になり賞を受けるほどだったようです。しかし、エドゥアールは、網膜剥離で左目が弱視となり彫金師を断念します。その後、画家をめざすために美術学校に在籍しましたが、在学中の1907年に校長のシャルル・レプラトニエから建築の道を進められ、建築家のルネ・シャパラと共に最初の住宅『ファレ邸』の設計を手がけることとなりました。

パリに移住した後は、1920年には先祖の名前から雅号「ル・コルビュジエ」と名乗るようになり、合理的、機能的で明快なデザイン原理を追求し、20世紀の建築や都市計画に大きな影響を与え続けました。

 

ル・コルビュジエと日本人の三人の弟子

日本にはル・コルビュジエのもとフランスで学び日本で活躍した三人の弟子がいます。それがル・コルビュジエの日本人最初の弟子である前川國男(1905-1986)、坂倉準三(1901-1969)、吉阪隆正(1917-1980)です。

左:前川國男 中:坂倉準三 右:吉阪隆正

左:前川國男 中:坂倉準三 右:吉阪隆正

文京区とル・コルビュジエの日本人三人の弟子の関係

実は、この日本人の三人と文京区は繋がりがあります。

前川國男は、文京区立真砂小学校(現在の本郷小学校)出身で、東京帝国大学(現在の東京大学)を出ています。前川國男は、東京帝国大学卒業後のその日の夜にシベリア鉄道経由でパリに渡り、1931年にル・コルビュジエの門下生となります。

その5年後1931年に前川國男は、東京帝国大学卒業後の坂倉準三をル・コルビュジエの建築設計事務所に紹介し、自身は東京のレーモンド建築事務所に入社しています。

吉阪隆正は文京区小石川出身です。吉阪は、幼少期をヨーロッパで過ごし、大学時代に早稲田大学へ入学するため単身帰国しました。1950年には、戦後第1回フランス政府給付留学生として渡仏、早稲田大学の教員を休職したまま、1952年までル・コルビュジエのアトリエに勤務しています。

このようにル・コルビュジエの弟子は、三人とも東京都文京区に所縁のある人物です。

今回の国立西洋美術館では、坂倉準三が代表となり国立西洋美術館設計事務所を任され、一般図作成と階段の設計は吉阪隆正、詳細設計は坂倉準三、構造と設備の設計は前川國男が担当しています。

 

国立西洋美術館について

国立西洋美術館は第二次世界大戦でフランスに接収されていた松方幸次郎のコレクションが日本に返還されることになった際に、これを展示する施設として計画されたものです。国立西洋美術館は、昭和34年(1959年)に発足・開館し、現在では西洋美術全般を対象とする美術館として日本で唯一の国立美術館となっています。

松方コレクションについて

では、なぜ松方幸次郎の個人の美術品のコレクションが美術館設立に見合うほどのものだったのでしょうか。

実は、松方幸次郎の父は松方財政や松方デフレで有名な第4代・第6代内閣総理大臣となった松方正義です。松方正義は、第3代内閣総理大臣の山縣有朋の後任となり、二度目の任期では大隈重信と協力体制を築いて渋沢栄一や政府の主張する銀本位制に対抗し、世界主要国と同様の金本位制を実施しました。これには、日清戦争での賠償金2億両を金貨で受け取ったことも深く関係しているようです。(写真左:松方正義 右:松方幸次郎)

左:松方正義 右:松方幸次郎

松方幸次郎自身も政界に身をおくとともに川崎財閥の運営する川崎造船所初代社長に就任し、第一次世界大戦ではこの造船事業で膨大な利益を得ることとなります。この時代の川崎造船所は、民間では三菱造船と並ぶ軍艦造船会社にまで成長したと言われています。

川崎造船所社長として隆盛を誇った第一次世界大戦期に、松方幸次郎は日本における本格的な西洋美術館の創設を目指し、ヨーロッパで美術品を買い集めました。この松方幸次郎の絵画、彫刻、浮世絵の美術品のコレクションは松方コレクションの名で知られることとなります。松方幸次郎自身は、絵画のことはわからないとしており、画商が進めるものを手当たり次第買い集めたため、松方コレクションは玉石混淆とされる一方で、趣味的嗜好の少ない当時の西洋美術全般のコレクションとなっています。

 

国立西洋美術館の建築界での評価

国立西洋美術館は、ル・コルビュジエの建築でありながら、日本の建築界では余り評価をされてこなかった建築でもあります。理由としては、ル・コルビュジエ自身が設計前に一度しか来日せず、出来上がった実際の建築物を一度も見ていないことが挙げられました。

一方で、現在の国立西洋美術館の評価は、ル・コルビュジエのそれぞれの弟子たちが師を解釈し完成させた建築物として貴重な建築として捉えられることもあります。

 

国立西洋美術館の特徴

ル・コルビュジエは、建築に対し「新しい建築の五原則」をはじめ、建築家の目標設定の観点から「住宅は住むための機械である」というような新しい視点を取り入れたことで有名です。では、今回の国立西洋美術館には、どのような特徴があるのでしょうか。

歩いて感じる建築

国立西洋美術館の特徴は、同時期に建てられたインドのアーメダバード美術館とチャンガルディ美術館と同様に、中央ホール・スロープ・展示回路のある「歩いて感じる建築」であることです。

この「移動することで建築が認識される」という特徴は、ル・コルビュジエがアラブの建築から着想を得たとされています。国立西洋美術館では、前庭からピロティ、19世紀ホール、スロープ、展示回廊と「歩いて感じる建築」があり、美術館を一つの作品として見ることもできます。

現在(2022年7月現在)の国立西洋美術館は、常設展の最後にル・コルビュジエが描いた絵画が展示されており、建築家であり、ピュリスム(純粋主義)の画家や造形家でもあったル・コルビュジエが作り出した作品を楽しむことできる施設でもあります。

モデュロールの比率(無限成長美術館)

モデュロールは、ル・コルビュジエが考案した物差しで、黄金比を含む人体寸法をフィボナッチ数列に展開した建造物の基準寸法の数列のことを指します。身長183cmの人間が手を上げた高さ226cm、頭からへその113cmなどが基準とされており、国立西洋美術館の各部の寸法がこのモデュロールの比率によって決められています。

この比率によって国立西洋美術館は、二階の円柱の直径が43cm、内法間隔が5m92cm、一階の円柱の直径は53cmなどあらゆる大きさが詳細に決められてます。またこの比率は、館内だけでなく国立西洋美術館の外にあるのオーギュスト・ロダンの「考える人」が配置されている前庭の床や、館の外壁の表情にまで用いられています。モデュロールの使用により、美術品が多くなり美術館が大きくなった際には、増築がしやすい作りである無限成長美術館としての機能も備えています。

 

国立西洋美術館の住所・アクセス

最後に、国立西洋美術館の住所とアクセスについてみていきましょう。国立西洋美術館の住所は東京都台東区上野公園7-7です。国立西洋美術館の前には、前川國男が設計した東京文化会館があります。

国立西洋美術館へのアクセス

JR上野駅「公園口出口」より徒歩1分

東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」 徒歩8分

 

ル・コルビュジエと国立西洋美術館まとめ

いかがだったでしょうか。ル・コルビュジエといえば20世紀を代表する建築家の一人です。そんなル・コルビュジエの弟子である日本人の三人が文京区に所縁のある人物であるのは嬉しいですね。国立西洋美術館の建築や常設展だけを見たい場合は、比較的安い値段で入れますので、気になるかたはこの機会に再度訪れてみてはいかがでしょうか。文京つーしんでは、皆様の役立つ情報を配信しておりますのでよろしくお願いします。

 

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◼︎ 詳細情報

参考文献

Casa BRUTAS
建築家 ル・コルビュジエの教科書 世界の建築・デザイン界に最も影響を与えた巨匠のすべて
藤木忠義 著
ル・コルビュジエの国立西洋美術館
ル・コルビュジエ 著
建築をめざして

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