文京区は著名な政治家を排出しているだけでなく、行政に深く関わりのある都市開発関係者や多くの建築家を輩出しています。そこで今回は、近代建築の建築家として著名な前川國男がどのような人物なのか、文京区とどのような関わりがあったのかをまとめてみました。
前川國男ってどんな人?どのような建築が有名?
前川國男(1905-1986)は、近代建築の巨匠と呼ばれているル・コルビュジエの元で学んだ数少ない日本人建築家の一人です。
2016年には、前川がル・コルビュジエと共同で設計を手がけた上野の「国立西洋美術館」が世界遺産に登録されることとなった際に多くの注目が集まりました。
また、この国立西洋美術館の前にある東京文化会館も前川國男が設計をしており、完成当時の1961年には珍しい庭園と建物が一体となったデザインであったことがメディアに取り上げられていました。
前川國男は、1935年 (昭和10年) には 東京の銀座に前川事務所開設します。第二次世界大戦の際に銀座の事務所は消失してしまいますが、1945年に目黒の自邸に事務所機能を移し、戦後も日本の建築界をリードしていきます。この前川事務所の出身者には丹下健三、木村俊彦といった同世代の建築の重鎮となっていく人物も在籍していました。
前川國男の生い立ちと文京区との関わり
では、このような華々しい実績を持つ前川國男の生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
前川國男は、1905年に新潟県新潟市に生まれました。父親である前川貫一(かんいち)は内務省の土木局に勤めており、新潟の監督係に従事していたようです。1909年に貫一が内務省の東京土木出張所に転勤になった際に、当時4歳であった前川國男も東京へ出てきました。その後、真砂小学校(現在の文京区立本郷小学校)入学し、第一高等学校、東京帝国大学(現:東京大学)工学部建築学科を卒業しています。
父である前川貫一が内務省の勅任官であったこともあり、前川國男自身も都内の高学歴コースの中で育っていったことがわかりますね。父が土木局に勤務していたということで前川國男自身も幼少期から建築に対する志が高かったと言われています。
前川國男は、東京帝国大学卒業後はパリへ留学し、ル・コルビュジエの事務所に入り、当時日本人として初めてル・コルビュジエに弟子入りしました。
前川國男ってどんな時代に活躍したの?
では、前川國男の活躍した時代はどのような時代だったのでしょうか。
前川國男が大学を卒業したのが1928年、その後フランスへ留学し、1930年に日本に帰国します。当時1930年代の日本の建築は「帝冠様式」と呼ばれ鉄筋コンクリート造の洋式建築に和風の屋根をかけたデザインが国家プランの建築に選ばれていました。
このような帝冠様式で建てられている建物は、当時の「近代建築」と「日本らしさ」の融合でもあり現在でもこのような建築物をみることができます。銀座にある「歌舞伎座」や上野公園の「国立博物館」などにも帝冠様式がみられますね。
前川國男と上野国立博物館。建築作品と図案について
この国立博物館(旧:東京帝室博物館)は前川國男がコンペに参加し、エピソードを残していることで有名です。
前川は1931年にこの東京帝室博物館のコンペに挑む際に、フランスからの帰国後であったこともあり、ル・コルビュジエの「サヴォア邸」に似た下図のような近代建築のデザインを取り入れた図案を提出しました。
その結果採用されたのは前川國男の案ではなく、渡辺仁が提案した帝冠様式のデザインが採用されることとなりました。
落選した前川國男は、落選後に「負ければ賊軍」と題する一文を発表しました。このことからも、当時の国内の政治と自身の建築家としてのつながりを深く考えるきっかけとなったことがわかりますね。
前川國男の作品はどんなものがあるの?
そのような、前川國男ですが第二次世界大戦後だけでも100以上のプロジェクトに関わっていたことが知られています。比較的文京区の近くでも前川國男の建築作品に触れることができるのでご紹介します。
上野公園にある東京文化会館、東京都美術館
文京区からも近い台東区の上野公園には、前述の「東京文化会館」や「東京都美術館」があります。
東京文化会館は、大規模な音楽コンサートが開催されており、国内のみならず海外からの観光客も多くみられます。この東京文化会館の建物のエントランスホールは、ル・コルビュジエのピロティを意識したつくりとなっています。そのため、音楽コンサートの行われる時間帯である夜の星々を意識した天井やガラス越しに見える自然、落ち葉をモチーフとした床などは、室内にいても外の空間との繋がりを保つことのできる空間です。
東京都美術館は、現在でもさまざまな絵画の展示会やイベントが行われており美術に関心のあるかたなら一度はいったことのある美術館ですね。
前川國男邸。外観や図面など
都内で有名なものとしては前川國男の邸宅があります。
設立当初は、品川区上大崎に設立されました。現在は、東京都小金井市桜町3丁目の江戸東京たてもの園に移され自由に見学できるようになっています。こちらの邸宅は、ル・コルビュジエの近代思想と、日本の家屋の特徴を取り入れており、木造の近代建築として機能的でスマートなデザインの建築となっています。
その他、国立国会図書館や東京大学山上会館
その他にも千代田区には「国立国会図書館」があります。大学生や研究者には御用達の建物で、国内外のさまざまな文献を調べることができます。文京区の東京大学内にも前川國男が設計した「東京大学山上会館」があります。こちらは、関係者以外は入れませんがこのような身近なところに著名なかたの建物があるのは嬉しいですよね。
前川國男と文京区まとめ
いかがだったでしょうか。今回は建築界の重鎮である前川國男についてまとめてみました。時代とともに建築の評価が変わっていくところも感慨深いものですね。文京つーしんでは、皆様の役立つ情報をお送りしていますので引き続きよろしくお願いします。
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