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文京区本駒込にある高級住宅街「大和郷」ってどんな場所?

投稿日:2021/12/11by 
文京区本駒込にある高級住宅街「大和郷」ってどんな場所?

六義園のある文京区本駒込6丁目辺りは「大和郷」と呼ばれ、三菱財閥の幹部や歴代首相も住んだことのある高級住宅街と呼ばれる区画となっています。今回はこの大和郷やそれにまつわる人物についてまとめてみました。

 

大和郷について。大和郷の場所や名前の由来

では、大和郷という地域はどのような場所なのでしょうか。

大和郷の場所は、白山通りと本郷通りに囲まれた六義園の一帯、以下の約5万4千坪の区画を指します。

大和郷幼稚園のようにこの区画の名前がついている場所もあり、六義園の西側に該当する文京区本駒込と北側の豊島区巣鴨が該当することが分かります。

文京区本駒込にある大和郷の住所

大和郷の住所は、文京と豊島区に渡っており以下のような住所となっています。

文京区本駒込6丁目1番〜14番,17番〜23番周辺

豊島区巣鴨1丁目1番〜4番周辺

大和郷の名前の由来は?

では、大和郷という名前はどの地域に由来するのでしょうか。

大和郷は、六義園が元大和郡山(やまとこおりやま)藩の藩邸だったことからこの周辺の宅地は大和郷と名付けられました。この郡山藩は、奈良県の大和郡山市に置かれた藩にあたります。

大和郡山市には郡山城跡などもあり、郡山城は筒井順慶の築城(1580年)に始まる大和でもっとも大規模な城郭で、近世期には、豊臣家、水野家、松平家、本多家、柳澤家の居城があった地域のようです。

 

江戸時代の六義園

次に、文京区民にとってはお馴染みの六義園についても少しおさらいしておきましょう。

六義園は、もともとは江戸時代第五代徳川綱吉の側近であった川越藩主・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が元禄15年(1702年)に作った庭園でした。

平坦な地に池を堀り、水を引いて泉を設け、富士山まで眺める山を築くなど、完成までに7年半もの歳月が費やされたそうです。

六義園

明治維新と六義園

しかし、1868年の明治維新後は新政府に没収され、幕末からの混乱期に大きく荒れ果ててることとなります。

明治維新から10年後の1878年に近隣の土地や家屋ごと六義園を購入し、修復に名乗り出たのが三菱創業者の岩崎弥太郎です。

三菱創業者・岩崎弥太郎

では、岩崎弥太郎と六義園はどのようなつながりがあるのでしょうか。

岩崎弥太郎率いる三菱は、明治10年の西南戦争で政府軍の輸送を担当し勝利を収め、明治天皇から金一封が下賜されました。この時の三菱の御用船運航収入総額は299万円、当期利益は93万円にものぼりました。

当時の1円を3800円ぐらいの価値だとすると35億弱の利益があり、これは当時の東京市の年度予算を超える数字です。

この資本を元に、岩崎弥太郎は鉱山事業への投資の傍ら、東京に大きな屋敷を3つ購入しています。

1つが当時「茅町(かやちょう)」と呼ばれた現在の上野池之端に残る旧岩崎邸庭園がある地区、2つめが深川の清澄庭園周辺、3つめが文京区にある六義園一帯です。

左:旧岩崎邸庭園 中:清澄庭園 左:六義園

左:旧岩崎邸庭園 中:清澄庭園 左:六義園

土佐藩出身の岩崎弥太郎は庭園作りを趣味としており、六義園の購入後は庭園内に岩崎家別邸をつくり復興に力を注ぎます。特に六義園の庭園は、樹木数万本を房総から移植し、池の周りには全国各地の巨石を配置、庭園内に四阿(あずまや)を建てるなど修復に力を入れました。また、この際に六義園の周囲が赤煉瓦の塀で囲まれることとなったと言われています。

岩崎久彌と六義園

この庭園内の工事は岩崎弥太郎の没後も、弥太郎の抱いたイメージを追って工事は続けられました。

一方で、弥太郎の長男であり、資産を引き継いだ岩崎久彌は、とくに弥太郎の庭園に深いこだわりはなかったのか、庭園などは皆で使うのは当然のこととして、昭和13年(1938年)に東京市に寄贈しました。そのため、六義園は現在でも一般公開されています。

岩崎久彌

岩崎久彌

 

岩崎久彌と大和郷

大和郷は、その岩崎久彌が大正時代に岩崎家が所有していた区画を分譲して売りに出したことに始まります。

大正11年3回にわたって売り出された大和郷の分譲地を買ったのが、三菱合資会社の社員が25人、それも社内での地位が高い人たちであり、一区画150〜300坪ほどあったとされています。

 

大和郷に住んだことのある著名人

最後に、高級住宅街となった大和郷に住んだことのある著名人についてみていきましょう。

美智子皇后

美智子皇后

実は、美智子皇后も幼少期の自宅の改築のために大和郷に住まわれたことがあります。この時には、大和郷初代村長であり商工大臣を務めた俵孫一氏宅に仮住まいしており、大和郷幼稚園に1年ほど通われました。

大和郷に住んだことのある歴代首相

その他に、大和郷には歴代首相も3人住んでいたことがあります。やはり三菱との関係の深い方が多いのでその辺りも取り上げてみました。

第24代首相の加藤高明

第24代首相となった加藤高明は、東京大学法学部卒業であったことや三菱弥太郎の娘婿となったこともあり「三菱の大番頭」と呼ばれるほどでした。政界に入ってからは、第4次伊藤博文内閣、第1次西園寺内閣、第3次桂内閣、第2次大隈内閣で外務大臣となり、立憲同志会(後の憲政会)の総裁となっています。総裁期間中は普通選挙法と治安維持法を成立させました。

第25・28代首相の若槻礼次郎

加藤高明が肺炎での急死により、副総理格であり盟友であった若槻礼次郎が当時元老であった西園寺公望により推薦され内閣を引き継ぐ形で第一次若槻内閣が誕生しました。在任中は満州事変などが起こるなど軍部の力が強くなる時代でした。

第44代首相の幣原喜重郎

幣原喜重郎は戦後の日本の基礎作りに貢献した人物です。マッカーサーから言い渡された5大改革として、「婦人解放」「労働組合の結成推励」「学校教育の自由化」「秘密審問司法制度の撤廃」「経済機構の民主化」に取り組みました。

また、幣原喜重郎は岩崎家の縁戚であったこともあり、六義園内に住居していたこともあります。

 

高級住宅街「大和郷」のまとめ

いかがだったでしょうか。今回は、文京区本駒込と豊島区巣鴨にまたがる高級住宅街の大和郷についてまとめてみました。六義園は文京区民にとっては、馴染みの深い庭園なので訪れた際にはまた違った視点から見ることができそうですね。文京つーしんでは今後も皆様の役に立つ情報を配信しておりますので引き続きよろしくお願いします。

 

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