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雑司ヶ谷霊苑からみる文京区の著名人について

投稿日:2022/06/25by 
雑司ヶ谷霊苑からみる文京区の著名人について

文京区護国寺の西側には、豊島区の雑司ヶ谷霊園が広がっています。こちらの霊園は、豊富な自然があり、都心から近くアクセスもよいため、散策に訪れる方も多くいます。そこで、今回はこの雑司ヶ谷霊園や雑司ヶ谷霊園に墓所のある文京区の著名人についてまとめてみました。

 

雑司ヶ谷霊園とは

雑司ヶ谷霊園とは、豊島区南池袋の住宅地に位置する106,110㎡からなる霊苑です。ケヤキの古木やイチョウなどの生える雑木林のような自然に近い環境の中に多くの墓所があります。

雑司ヶ谷霊園の歴史

では、雑司ヶ谷霊園はどのような歴史があるのでしょうか。

江戸時代のこの地域は、将軍の鷹狩用の鷹を飼育する御鷹室のある高台となっていました。

明治維新後、明治政府は神道の国教化政策を行うため、神仏分離令によって神社から仏教的な要素を排除しようとしました。そのため、政府は神式葬儀に対応できるように公営の墓地を作る必要を迫り、そのニーズに応えるために明治5年(1872年)にこの地に神葬墓地を開設しました。

その後、雑司ヶ谷旭出町墓地は、東京府に引き継がれ、明治7年9月1日に雑司ヶ谷墓地として共葬墓地になります。また、明治22年(1889年)には東京市に移管され、昭和10年(1935年)に「雑司ヶ谷霊園」と改められ現在に至っています。

明治維新後の神仏分離令による共同墓地のため、雑司ヶ谷霊園内には十字架が掲げられているお墓もみられ、仏教以外の宗派の方の利用もあることがわかります。

雑司ヶ谷霊園の施設

雑司ヶ谷霊園の敷地は広く、北西側に位置する都電荒川線付近には花屋や交番があり、南西部には管理事務所や斎場があります。

雑司ヶ谷霊園管理事務所・花屋

文京区護国寺の方面から訪れる場合は遠くなってしまいますが、管理事務所では案内図や自販機、AEDなどが設置されています。

雑司ヶ谷霊園管理事務所

雑司ヶ谷霊園管理事務所

 

雑司ヶ谷霊苑の住所・アクセス

雑司ヶ谷霊苑の住所は、東京都豊島区南池袋4-25-1となっています。

アクセス

都電荒川線「都電雑司ヶ谷駅」徒歩2分

東京メトロ有楽町線「東池袋」徒歩7分

東京メトロ副都心線「雑司が谷駅」徒歩8分

文京区の方は、護国寺前の不忍通りから池袋方面に向かう国道435号線に沿っても行くことができます。

 

雑司ヶ谷霊園に墓所のある文京区の著名人

次に、雑司ヶ谷霊園内にはどのような方のお墓があるのかを見ていきたいと思います。以下では、文京区に所縁のある方を中心に紹介していきます。

雑司ヶ谷霊園と文京区の著名人

サトウハチロー [位置:1-5号25側25番]

サトウハチロー

サトウハチロー

サトウハチローは、東京府東京市牛込区出身の詩人です。

戦前の「二人は若い」、戦後の「リンゴの唄」の流行歌で圧倒的な人気を生みました。若い日の無頼を心配したサトウハチローの父は、現在の豊島区上池袋三丁目に世帯を持たせ、その家にはラジオドラマ「君の名は」の脚本家菊田一夫も同居することとなりました。

詩人として有名になったサトウハチローですが、小学校時代には、茗荷谷町から小日向台小学校に通っていました。向丘弥生町のサトウハチロー旧邸の庭にははぜの木が植えられており、童謡の「ちいさい秋みつけた」のモデルとなりました。この木は平成13年に、礫川公園に移植されています。

サトウハチローの代表作には、「うれしいひなまつり」「リンゴの唄」などがあります。

竹久夢二 [1-8号9側32番]

竹久夢二

竹久夢二

竹久夢二は、「夢二式」の美人画や宵待草などの叙情的な詩歌で知られる「大正ロマン」を代表する画家であり詩人です。若い頃に、当時大学教授であった島村抱月に目をかけられ、「東京日日新聞」にて担当欄を得たことでプロとして画業に携わり始めました。

大正7年(1918年)には、文京区本郷の菊坂ホテルに入り、数々の絵画活動を続けました。現在では、文京区弥生2丁目に竹久夢二美術館があり、様々な展示が行われています。

竹久夢二の代表作には「黒船屋」「長崎十二景」「立田姫」などがあります。

 

夏目漱石 [1-14号1側3番]

夏目漱石

夏目漱石

文京区向丘2丁目の夏目漱石旧居跡(猫の家)は、第一高等学校教師であった夏目漱石がイギリス留学から帰国後、初めて執筆に取り組んだ場所として知られています。初めての作品「吾輩は猫である」の舞台から居住区は「猫の家」としても知られています。主な著書には「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「草枕」「こころ」などがあります

夏目漱石は、小説「こころ」の一説で雑司ケ谷霊園について取り上げています。

「こころ」執筆時の自宅である漱石山房は新宿区早稲田南町と比較的近くにあったため、「こころ」のなかで当時の雑司ヶ谷霊園の様子を細かく描いています。

 

泉鏡花 [1-1号13側33番]

泉鏡花

泉鏡花

泉鏡花は金沢市出身の小説家です。江戸文芸の影響を深く受けた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで、幻想文学の先駆者として評価されています。

泉鏡花は、尾崎紅葉の「夏痩」の影響を受け、18歳で上京します。上京後は、尾崎紅葉の門下生になろうとしまいしたが、気後れして文京区の湯島天神下などに住んでいました。明治24年に紅葉の縁者と知り合い、添状をもらい尾崎家の玄関番として牛込横寺町に住みました。その後、明治28年より文京区小石川戸崎町の大橋乙羽の家に移り作家として知られるようになっていき、明治29年5月には小石川区大塚町に居を構えています。

泉鏡花の代表作には「夜行巡査」「外科室」「照葉狂言」「婦系図」「歌行燈」などがあります。

 

金田一京助 [1-22号5側24番]

左:金田一京助 右:石川啄木

左:金田一京助 右:石川啄木

金田一京助は、アイヌ語やアイヌ語の叙事詩ユーカラの発掘や言語研究で業績を残しました。主な著書には、「アイヌの研究」「新選国語辞典」があります。

若いころには、浪漫主義運動の中核として新しい時代を作った新詩社の明星に加わり短歌に親しみました。明星派には与謝野晶子、小山内薫、石川啄木などがいます。

金田一京助と石川啄木は、岩手県盛岡高等小学校からの知り合いで、詩や短歌という共通の話題があり、上京してからも深い繋がりがありました。特に、文京区の菊坂にあった下宿屋「赤心館」で再会した後には、金田一京助が石川啄木の下宿代などの金銭面の工面をしていたことが知られています。

永井荷風 [1-1号7側3番]

永井荷風

中央:永井荷風

永井荷風は、文京区春日2丁目(旧金富町45番地)にあった家で生まれ、明治12年から飯田町に移る明治26年まで約13年間文京区に住みました。中でも小石川は荷風の生まれ育った地で愛着が深く、アメリカやフランスで働き、帰国した明治41年(1908年)には地元の伝通院をテーマとした「伝通院」を執筆しています。

代表作には「あめりか物語」「腕くらべ」「濹東綺譚(ぼくとうきだん)」などがあります。

荷風は、生前墓を作るなら「浄閑寺に」と言っていたようですが、現在は父である久一郎の隣にあります。 

成瀬仁藏 [1-17号6側1番]

成瀬仁藏

成瀬仁藏

成瀬仁蔵は、山口県出身の昭和の宗教家・教育者・社会活動家です。明治初期に女子の高等教育の重要性を説き、アメリカへ留学後、日本女子大学を設立しました。

現在の日本女子大学は、文京区目白台2丁目にあります。敷地内には、成瀬記念館として現在でも創立者である成瀬仁藏の生涯を紹介した展示がされています。

 

小泉八雲 [1-1号8側35番]

小泉八雲

小泉八雲

小泉八雲はギリシャ生まれの新聞記者、小説家、紀行文作家、英文学者です。

小泉八雲の父はアイルランド人、母はギリシャ人でアメリカで新聞記者などをして、来日したあと、欧米に日本文化を紹介する著書を数多く執筆しました。東大講師時代には、哲学の講師ケーベルと同僚であり、後任に夏目漱石が講師となった際には、小説家の武林無想庵らによる留任運動が起こるほど学生内では高い人気がありました。

 

ラファエル・フォン・ケーベル [1-東6号2側]

ラファエル・フォン・ケーベル

ラファエル・フォン・ケーベル

ラファエル・フォン・ケーベルは、ロシア出身の哲学者・音楽家です。

モスクワ音楽院ではピョートル・チャイコフスキーなどに教えを受け、日本では東京帝国大学で哲学、西洋古典学の講師として明治政府によって雇用された外国人でした。

東京音大の講師時代では、滝廉太郎へドイツライプツィヒ音楽院への推薦状を出すなど日本の音楽界に大きな影響を与えた人物でもあります。また、日本女子大学開校式のための「日本女子大学開校式祝歌」はケーベルの作曲となっています。

 

その他雑司ヶ谷霊園に墓所のある著名人

以上にあげた人物の他にも、雑司ヶ谷霊園内には以下のような多くの著名人の墓所があります。

阿部磯雄(社会活動家)安藤鶴夫(作家、演劇課)池田菊苗(化学者、うまみ成分発見)伊澤修二(音楽教育者)伊澤多喜男(台湾総督、東京市長)市川左団次(歌舞伎役者)市川羽左衛門(歌舞伎役者)岩瀬忠震(幕末の外交家)岩野泡鳴(小説家)江戸家猫八(動物声帯模写)大井憲太郎(自由民権運動の指導者)大川橋蔵(俳優)大下藤次郎(水彩画家)大須賀乙字(俳人)大塚楠緒子(詩人・小説家)大町桂月(文学者・評論家)荻野吟子(女医)柏井園(神学者)金子馬治(文学者・哲学者)神尾光臣(陸軍軍人)川本幸民(蘭学者)久保田空穂(歌人)小泉八雲(作家)佐野利器(建築学者)島村抱月(新劇運動家)白鳥庫吉(東洋史学者)竹林無想庵(小説家)綱島梁川(思想家)東儀鉄笛(雅楽家)東郷青児(洋画家)東條英機(軍人・首相)ジョン万次郎(アメリカ文化紹介者)中村是公(官史・政治家)成島柳北(ジャーナリスト)羽仁吾郎(歴史家)松永和風(長唄家元)水野仙子(小説家)村上専精(インド哲学者)村山槐多(洋画家)森田草平(小説家)山本忠輿(電気工学者)和田垣謙三(経済学者・東京帝国大学教授)渡辺重石丸(国学者)

あまりにも多いので一人一人は取り上げられ挙げられませんが、雑司ヶ谷霊園には作家や文筆家、学者などの文化系や学問系の人物のお墓が多くあることがわかりますね。

 

雑司ヶ谷霊園についてまとめ

いかがだったでしょうか。雑司ヶ谷霊園は、墓地ということであまり頻繁にいく場所ではないかもしれませんが、故人を偲ぶ大切な場所ですね。機会があれば、それぞれの人物をピックアップして取り上げていきたいと思います。文京つーしんでは、皆様の役に立つ情報を配信しておりますので引き続きよろしくお願いします。

 

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