文京区は19の地域に分かれており、地域ごとにそれぞれの特徴があります。文京区の中でも千駄木や根津といった地域は、下町ながら近年新しく出店されるお店も多く見られ、若者にも人気のエリアとなっています。今回はそんな千駄木についてまとめてみました。
文京区千駄木とは?
まずは、文京区内の千駄木の位置についてみてみましょう。
千駄木は文京区の北東に位置する地域で、総面積は727㎢となっています。千駄木の地形は、本郷台地の「きわ」となっているため、台地の高台から不忍通りに向かう谷となっています。
文京区千駄木の人口について
文京区千駄木の令和5年12月1日現在の総人口は21,352人、世帯数は11,705世帯となっています。総人口は千駄木3丁目が最も高く6,721人、次いで5丁目が4,907人、2丁目が4,677人です。町丁ごとに人口密度を見ると千駄木4丁目が1haあたり350人以上と最も高いエリアとなっています。
文京区千駄木の歴史について
次に、文京区千駄木の歴史についてみてみましょう
千駄木の歴史
千駄木の名前の由来の一つとして、「千駄(ものすごく大量)にも及ぶ木が茂っている」というものがあります。
旧駒込林町(昭和40年まで)の旧町名案内板には、以下のように書かれています。
上野の寛永寺創建の後、この林地を同寺の寺領とし、徳川家霊廟用の薪材をとらせた。延享3年(1746年)開墾して畑とし、後その地に宅地を設けて「御林跡」と称えた。
寛永寺は、寛永期(1624-1644年)の寛永2年(1625年)に天海大僧正(てんかいだいそうじょう)によって創建されました。したがって、その後三代将軍徳川家光(在職1623-1651年)の時代には千駄木周辺は寛永寺の寺領となり、薪材を提供していたことが窺えます。また、案内板には延享3年(1746年)開墾して畑とし、宅地を設け「御林跡」と書かれていることから、この周辺は江戸の中期ごろまでに宅地に変わっていたことがわかります。
千駄木の地域
千駄木の地域を見る上で重要なのが本郷台地と現存する坂道です。
旧千駄木林町と呼ばれていた千駄木三丁目と千駄木五丁目には、「千駄木山」と呼ばれている山がありました。雑木林の坂上一帯は当時「狸山(たぬきやま)」と呼ばれており、その狸山にのぼる坂は現在でも「狸坂」と呼ばれています。この狸坂と並行する坂には、むじな坂、きつね坂というものもあり当時の名前が今も使われています。
一方、坂下は、根津の谷となっており、藍染用として利用されていた谷戸川が流れて田んぼとなっていました。
千駄木のそれぞれの地区
では、千駄木のそれぞれの地域についてみてみましょう。文京区千駄木の住所は以下のように分かれています。
千駄木一丁目について
千駄木一丁目は団子坂上のある452号線と根津裏門坂に挟まれ、薮下通り(汐見坂)の西側の地域です。
地域の南側には、日本医科歯科大学があり、付近には根津神社や不忍通りもあるため人通りが比較的人通りがあります。
北側には、森鴎外記念館(観潮楼跡)や金土日館などの文芸に関する施設もがあります。この辺りには、夏目瀬漱石や森鴎外も住んだことのある地域となっています。
千駄木二丁目について
千駄木二丁目は団子坂と根津裏門坂に挟まれ、薮下通り(汐見坂)の東側にあたる地域です。
二丁目は、不忍通り沿いには個人商店などが多くみられ、多くが住宅街となっており、区画内には区立の小・中学校もあります。
千駄木三丁目について
千駄木三丁目は、団子坂ときつね坂に挟まれ、通称保健所通りと呼ばれる通りの東側の地域です。大給坂を登った保健所通りは、旧安田財閥の安田善次郎の三女峯子と夫の善四郎が住んだことのある旧安田楠雄邸庭園があります。この通りは、安田家がこの土地を購入した当時は数々の銀行頭取が居住を構えていたことから「銀行通り」と呼ばれていました。
大給坂の名残である大給家についてはコチラでまとめてありますのでご覧ください。
この他にも千駄木三丁目には文京区立の須藤公園や文京区立本郷図書館、千代田線「千駄木駅」があります。
千駄木四丁目について
四丁目は動坂ときつね坂に挟まれ、保健所通りの東側に位置する地域です。
千駄木四丁目は、多くが住宅街となっており、白山や本駒込から抜けてくる458号線の動坂と不忍通りの大きな交差点もあります。
千駄木五丁目について
千駄木五丁目は国道458号線と神田白山線(国道452号線)保健所通りの西側に囲まれた地域です。
千駄木小学校や文林中学校周辺には幼稚園や公園などの公共施設が集まっており、公園では、保護者たちが子どもを遊ばせている光景がよくみられます。千駄木全体にも言えることですが、一方通行の道路があったり、行き止まりなどの道があるためある程度慣れが必要です。
また、千駄木五丁目の南西側には、私立の駒込中学校・高等学校もあります。
文京区千駄木の気になる点と住みやすさについて
では、皆さんが気になるのが千駄木の住みやすさや交通機関ですね。それぞれについてみていきましょう。
子育てについて
学校周辺には関連施設が多く、子どもも多く見られます。幼稚園から中学校まで隣接してあるため腰を据えて教育に力を入れることができます。
文京区千駄木は、東京大学にも近く、公立の小学校でも最高峰の教育が受けられるため、3S1Kとして評判がある千駄木小学校もあります。
千駄木の住みやすさについて
住みやすさについては、気になる点として以下のようなことがあります。
千駄木には、大きなスーパーなどがあまりないため商店街などで分けて買う必要があることや、遅い時間まで営業している店舗が少ないことが気になる点として挙げられます。
一方で、不忍通り沿いや谷中銀座のように商店が多くあるため、こだわりの食材に出会えることや千駄木ならではの交流があるのは魅力とも言えます。
利用しやすい交通機関
利用しやすい交通機関としては、千駄木は東京メトロの千代田線の「千駄木駅」が利用できます。千代田線は、根津を越えたあたりから大手町や東京駅と急に千代田区の中心に行ける感じが面白いですね。
また、千駄木は荒川区の西日暮里や日暮里の駅にも近いため、文京区では利用しづらいJRの駅を駅を利用したい方にとっては便利な地域です。
その他、不忍通りでは都バスなどが利用でき、千駄木内にも区が運営しているバスB-ぐるの停留所がいくつかあります。
文京区千駄木を学区とする区立の学校
文京区千駄木には、区立の学校と私立の学校があります。ここでは学区の制限がある文京区立の学校を中心にみていきたいと思います。
区立小学校
千駄木ないのくりつ小学校としては、千駄木3丁目に「汐見小学校」、千駄木5丁目には「千駄木小学校」があります。
それぞれの学校については、個別の記事でも取り上げていますので、よろしければそちらもご確認ください(汐見小学校・千駄木小学校)。
区立中学校
また、千駄木内の区立中学校としては、千駄木3丁目に「第十中学校」千駄木5丁目には「文林中学校」があります。
区立中学校についても個別の記事でも取り上げていますので、よろしければこちらもご確認ください(第十中学校・文林中学校)。
文京区千駄木にある施設
最後に文京区千駄木にある施設についていくつかみてきましょう。
須藤公園
須藤公園は、千駄木三丁目にある須藤家から東京市に寄付された庭園を生かした区立公園です。園内の高低差のある台地と低地を巧みに生かした公園斜面地は、クスノキなどの大木が豊かな緑をつくりだしています。
須藤公園は、江戸時代の加賀藩の支藩の大聖寺藩(十万石)の屋敷跡となっています。その後、長州出身の政治家品川弥二郎の邸宅となり、明治22年(1889年)に実業家須藤吉左衛門が買い取りました。昭和8年(1933年)には須藤家が公園用地として東京市に寄付し、昭和25年(1950年)に文京区に移管されました。
鴎外記念館
鴎外記念館は、明治の文豪である森鴎外の旧居「観潮楼(かんちょうろう)」跡地に開館した施設になります。1階にはミュージアムショップとカフェ、2階には図書室と講座室が設けられ、地下1階では様々な展示が行われています。
そのほか文京区立森鴎外記念館では、主に、原稿・書簡・図書・遺品などの鴎外資料(遺品資料)と、鴎外や文京区にゆかりのある文学作品や文学者に関する資料を収集しています。現在、約3千点の遺品資料、約6千点の森類旧蔵資料、約1万1千点の図書資料を収蔵しています。
文京区千駄木住みやすさまとめ
いかがだったでしょうか。千駄木というと日本の下町情緒が感じられるエリアとして外国人にも人気のエリアとなっています。また、千駄木は教育水準も高いため小さい頃から子育てをするのにも向いているエリアのようですね。文京つーしんでは皆様に役立つ情報を配信しておりますので、引き続きよろしくお願いします。
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